この夏、鰹節の産地の一つである静岡を訪問した。
日本茶好きでもある私にとっては大変有意義で感慨深い旅となった、日本茶についても記載したい。
ご存知のとおり静岡は東西に長く、駿河・遠江・伊豆で県民性は三者三様。
浜松市の名物は鰻・餃子、静岡市の名物はお茶・おでんと同じ県だとは思えない。
産業面では第二次産業の比率が他県より高く、幅広い分野で全国のトップシェアを占める製造品が多い。
特に浜松はトヨタ自動車グループの始祖である豊田佐吉やホンダの本田宗一郎、ヤマハの山葉寅楠ら、偉大な起業家を生みだしてきた土地柄で、かつては「やらまいか(やってみよう、やってやろうじゃないか)精神」が息づいていたようだ。
また浜松は音楽の街としても知られていて、さきほどのヤマハ、カワイ、ローランドをなどの世界的音楽メーカーだけでなく200以上の楽器関連企業が集まっている。
対する静岡は、家康のお膝元。駿府藩・天領として暮らしてきて何かにつけ楽ができたためガツガツしていないがプライドは高いそうだ。
水揚げ”額”日本一の焼津港
焼津港は江戸時代からカツオ漁が盛んで、現在は水揚げ”額”日本一。
遠洋漁業の地として知られていて、日本で水揚げされる1/3が焼津港。
マグロの世界的な需要の高さから魚価が向上、これが水揚げ高に貢献している。
水揚げ”量”が多いのは銚子港で、暖流の日本海流と寒流の千島海流がぶつかる潮目であることに加え、利根川から運ばれてくる栄養塩のおかげでプランクトンも豊富にあるために、日本屈指の好漁場になっている。
焼津鰹節の歴史
鰹節の三大産地は、焼津、鹿児島県枕崎市、鹿児島県指宿市。生産量は1位は枕崎、2位が指宿、3位が焼津。この3都市で日本の98%の鰹節を製造している。
上記のようにカツオ漁が盛んだったため、保存技術の一貫として鰹節の製造が盛んになった焼津。鰹節の他にも佃煮が名物で、さまざまな佃煮が売られている。
鰹節そのものの発祥については諸説あるものの、焼津の鰹節燻製法は1800年頃に土佐節が伝わったのがはじまりだそう。
静岡のお茶の歴史・産地
お茶そのものの発祥は中国雲南省で、そこからインド、イギリス、日本など世界各地へ喫茶が広がった。
モンゴルでは野菜不足を補うものとして、イギリスでは茶器やお菓子が発展するなどその土地と文化にあった発展の仕方をした。
静岡では、鎌倉時代に僧が留学先の中国の宋から持ち帰ったのが始まり。
もともと茶生産量は全国3位だったが、海外での日本茶の評価を知っていた勝海舟の進言により富士・牧之原周辺の茶園開拓が進められ、明治中期には1位になる。
気候がお茶の栽培に適していたことや、消費地(首都圏)に近かったこと、横浜港が近かったことが挙げられる。
お茶と鰹節の扱い
日本で1〜2位を争う茶どころだけあってお茶はそこかしこで盛大に扱われているが、鰹節はほぼ訴求されてない。
鰹節の消費のほとんどがBtoBだからかもしれないが、鰹節もまた日本の食文化の根幹にあるもの、出汁好きとしては少し寂しい気持ちになる。
ただほんの少しだけ茶道をかじった立場から考えるならば、
茶は茶器や茶室、花、水、庭園、和菓子、点前、作法、といった総合芸術であり、茶道の先生いわくは「茶道は出口がいっぱいある”沼”」というくらいなので間口も広く出口もたくさんある。
健康食品だけなら世界中どこでもあるが、仏教と結びついていた茶はマインドフルネスとも繋がっているので、既に成熟した先進国の間で自分を保つための思想やツールとして、茶は可能性を広げやすいかもしれない。
文化とは、「人間の精神面での向上を示す言葉」、「人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな体系のこと」だそうだ。
南北に長い日本の多様で新鮮な食材を活かし、毎日の食卓はもちろんハレの日もそうでない日も、わたしたちの健康と食、生を支えてくれている出汁。
わたしたちは、出汁を通して日本の四季と自然の恵み、営みに感謝することができるのだと再認識したいい機会だった。また訪れたい。